そろばん先生日誌

42

今日で42歳になりました。

久しぶりに友達や恩師から連絡をもらって、元気復活です(*^^*)

人生も折り返し地点付近?にきたところで、最近はいろいろ勉強をする時間が多くなりました。

はじめたばかりの学習科のこと。経済や金融のこと。数学の問題を解いてみたり、学習方法について本やYouTubeで情報収集したり。哲学や自己啓発系の本も多く読むようになりました。柔軟体操して瞑想して本を読んで散歩して。余裕がなくて、暗算段位の練習やギターを弾いたりはしなくなってしまいましたが…。

 

子どもたちがたくさん練習したり勉強したりしているのを間近で見て、どこか本気になれなかった過去の自分が残念に思えてなりません。それと同時に感じるのが、子どもたちはすごいパワーがあるし、親の気持ちも凄いということ。

私自身は人並み以下の能力しかありませんが、「だいぶ遅くなってしまったけど、それでも遅すぎるということはないから今からがんばろう」と皆さんからエネルギーをもらって頑張れています。

昔は能力の低さ故に成果を出せず、それでも何度もやり直してはまた同じ作業を繰り返すということをたくさんやってきました。気になると別な事でもやらずにはいられない性格で、長時間に亘って寄り道することもしばしば。典型的な「できないヤツ」なんですね。

「先生は□□□に詳しいから~」と言われても、ただただ調べてきただけです。聞かれてもググってお伝えするだけ。私が調べるかあなたが調べるか、それだけの違い。詳しいわけでも能力が高いわけでもありません。

大会のBGMを1つ選ぶのにしたって、さんざん迷って悩んで聞き直して調べ直して、休みを潰すことだってザラなんです。

人よりも時間がかかるからワーカホリックのように1日のほとんどの時間を仕事に充ててきましたし、無理をしては体を壊し、家族との時間も少なかったように思います。

そうじゃなくなったのは、コロナになって、教室を畳むかもという状況になって、もう一回人生を見つめ直したことがきっかけだったでしょうか。無理をするのを止め、自分らしくあろうと努め、他人の価値観に合わせることを諦めました。

今は、極々当たり前のことですが、奥さんと犬の散歩をしたり、家に仕事を持ち帰らず、一緒にご飯を食べることができています。そして、たまにはボーっと過ごす。幸せは特別な瞬間に訪れるものではなくて、そんな当たり前の日常にこそあるのかなと少しずつ感じるようになりました。

エースを開塾して5年目ですが、ほとんどがコロナと共に過ごしてきた印象です。最初の半年間は在籍者が2名でしたから、実質1年目は掃除と妄想するだけの日々。いろんな言い訳をしながら、本当にやりたかったことを貫けずにいた5年間。

恥ずかしながら懺悔をすると、まだ段位に合格できた生徒は12人だけなんです。5年間で12人。本当はもっともっと多くの子をこの領域まで導いてあげるはずだったのに。教室に週に2時間しか来れないようにして、保護者に協力を仰いで、感染予防という大義名分で保身に走ったのではないかという葛藤は未だにあります。本当に考え抜いた結果がこれだったのかな、と。

段位を取ることが全てではないとは思いますが、そこを目指す価値はとてつもなくデカいと個人的に思っています。どのくらいやれば到達できるかということは分かっていますし、どの程度の能力の子だと可能なのかの予測はつきます。私の結論は、相当な割合の子が段位に合格できるはずし、その過程をより楽しくすることが目標でした。

でも週に2時間だけだと、段位合格まで普通に6年はかかります。

エースはACEと書きます。A~Eまでの5段階あるとした場合、1つ飛ばしのスキップする感じで上達してほしいという願いを込めてつけました。でも6年もかかったらスキップできないよ!ということですね。

今日のLINEでの会話で「今はただ生きるためだけに働いている感じ」と友達が言っていました。俺たちはHR/HMを愛したロック少年だったはずなのに、あの時感じていたワクワク感や無双感はどこにいったのだろうか。

やっぱり、実現したかったことを形にすることが42歳の目標ですね。

せっかくの1年に1度だけの機会なので、取り留めもなくつぶやいてみました。

今日もいつも通り、楽しく厳しく、ワクワクしながら成長するみんなを応援したいと思います。