そろばん先生日誌

いろいろ考えて元に戻る

1月21日に東京で日本計算技能連盟の講習会があり、折角の機会だったので参加してきました。
午前10時に始まり、午後6時半まで。内容盛りだくさんで楽しかったなぁ。
後でまとめるのが面倒なので、気になることだけ書き込んだはずのノートも4ページほど。

講習会のその日は興奮してやる気に満ち溢れる。
あれは真似してみよう。ここはこうゆう感じで応用できるな。ここの部分はしっかり反省して修正しなくてはいけない。あのアイディアはここをこうして新しい感じで試してみよう。とにかくいろいろ考える。

仙台に帰って来てからもいろいろ考える。あそこはこうだな。ここはこうだな。

授業が始まっていろいろ試してみる。ここはこうゆう言い回しをしてみよう。あれができるプリントを作ってみよう。授業の最後にはみんなでこれをしよう。

気が付けばあれからもう3週間も経ってしまった。でもなんか頭がモヤモヤした感じでスッキリしない。
結局、自分のやりたい教室って、もう既にやっていることだらけ。
新しい話を聞いて勉強にはなるけれど、そんな簡単にコッチを変えてアッチも変えて、とはいかない。これまで失敗を恐れずいろいろ変えてきたし、フットワークは軽い方だと思うけれど、ひたすら悶々と考えて、無理に修正しなくてもいいのかなという結論に達する。

そろばんは誰しもが身に付けてほしい「リベラルアーツ」=「教養」の1つだと思う。
本が読める。字が綺麗に書ける。計算がスラスラできる。そう、基本はやっぱり読み書きそろばん。
パソコンのスペックと似ている。CPUは高性能であって欲しいが、超高性能でなくてもいい。でもアプリが十分に動くだけの性能を必要とします。CPUが処理を行う全ての基になる部分ということですね。

アプリは数学や英語のような「教科」であったり、キャラクターの名前やなぞなぞやゲームの攻略法のような「知識」だったり、マーケティングや会計実務やロジカルシンキングのような「ビジネススキル」だったりは、それぞれが必要に応じてインストールするもの。

これからいろいろなアプリが必要になるし、どんなものが必要になるのかも分からない。だからパソコンのスペック不足で使えないアプリはできるだけなくしていきたい訳です。
つまり「処理能力が高い」=「頭のいい子」を育てていくことの意味はとても大きいと思っているのです。

でも今は、本当に苦しい状況に置かれているそろばんの教室が大半です。恐らく5年後には半分になっているでしょう。仙台ですらこんな状況。地方に行けばさらにひどい。習いたくても習う場所がなくなりますし、習っている人がいないければ良さも伝わりません。

そろばんに派手さはないし、ある一定以上の技術は理解されない。困難(できない問題)を与えられ、技術が上がってできるようになればさらなる困難を与える。永遠にゴールのないマラソンのようなもの。

 

そう聞けば地獄のような習い事ですね(笑)。愛する我が子にそんな拷問を受けさせたい親がいるはずがないです。だけど、実際は、できないことができるようになることって、もの凄くうれしいことなんです。我々指導者と保護者が両輪になって支えながら、そろばんを学習している期間に何度も何度もそんな体験ができる場を提供できます。いろいろな隠し味(面白さ)を混ぜ込んで、たまにはスパイス(刺激)をふりかけながら、楽しみを見出しつつ自身を成長させる術も学んでいきます。

能力を伸ばした後に、それを活かして、いろいろアプリを使って、たくさんのことを成し遂げていくのです。

日経平均が34年振りに37000円台を回復、なんてニュースが聞こえてきても、自分には全く関係がないばかりか、給与は増えないのに物価だけ上がって可処分所得が下がっている家庭は多いはずです。とにかくいろんなものが値段を上げ続ける毎日。他に漏れず習い事の値段も少しずつ上がってきています。

そろばん教室も高くなりました。月謝だけみても6000円、7000円が当たり前。東京なら倍の金額でも驚かないくらいです。
今度まとめてみようかと思っていますが、ここからさらに教材費やら暖房費やら検定代やら大会参加費やらいろいろな課金を強いられます。冷静に勘定すれば、けっこうお金がかかってしまいますから誰しも習える状況でもないわけですね。

教室が減る。それにけっこうかかる。そんでもって得られるものがハッキリしてない。これはなかなか難儀な問題です。

自分としては、少しでもスペックを上げて送り出してあげることで世の中のお役に立てていると思っているのですが、伝える努力をもっともっとしていかなくてはいけません。このダラダラ無駄に長い稚拙な文章も「やらないよりは少しマシ!」という程度の理由で恥を忍んで書いています。

自分が影響力を持てなくても下の世代がどうにかしてくれるかもしれないし、あわよくば自分の生徒の誰かがなんとかしてくれるかもしれません。とにかく、教育にお金も時間も投じなければ日本に未来はありません。

その教育の1つとして、そろばんはまだまだできる役割があるだろうし、自分も楽しんで取り組める仕事であれば頑張ろうと思います。

ここのところ悶々としていましたが、バーっと文章を書いたら少しスッキリしました。
明日から2連休です。ちょっと前向きに仕事ができそうな予感がしています(*^-^)